ぜひ読んでおきたい「古川亨のパソコン秘史」 ― 2023年06月21日 21時13分56秒

アマゾンのサイトを見ていて、こんな本があったのに気がついた。
『僕が伝えたかったこと、古川亨のパソコン秘史』(インプレス刊)
2015年12月の出版だからもう8年も前の本だが、なぜ気がつかなかったのだろう。早速、電子書籍版をkindleで読み始めた。
アスキーの初期メンバーの一人で、アスキー退社後、日本マイクロソフト社長や米マイクロソフト副社長にまでなった古川亨(すすむ)氏が、アスキー誕生からマイクロソフトに行くまでの、まさに日本のパソコン黎明期の「青春」を描いた本だ。
ぼくがアスキーに在籍していたのは、もういつだか覚えていないが1978年くらいから1・2年程度だったように思う。月刊アスキー編集部に所属していた。あの当時はようやくパソコン(当時はマイコンと呼んでいた)が登場し始めた頃で、ほんと刺激に満ちた面白い時代だった。
タンディーラジオシャック、コモドールペットがいち早く編集部に届いていた、日本ではNECのTK-80というマイコンキットが発売されたり、アメリカではアップルIIが登場していた。
南青山の古びた雑居ビルの中の事務所や表参道のマンションの1室で仕事をしていた。
西さんも、古川さんも、塚本さん(インプレス創業者)もみんなぼくと同世代の普通の若者だったけど、みんななんか夢に燃えていた。
ぼくもいい時代をアスキーで過ごさせてもらったと思うが、いかんせん、ほとんど発達障害気味の不良社員だったので、編集長の吉崎氏から「おまえなんか辞めてしまえ!」と言われたので素直に辞めました(笑)。
本書には、つきあいがあった人達の懐かしい名前がたくさん出てくる。50年ほど前の記憶だ。小島くん(ぼくと同期入社)、宮崎さん、松田くん、真理ちゃん。
過去を懐かしむことはしない主義のぼくではありますが、なかなかに歴史的価値のある本だと思いますので紹介してみました。
あの当時のパソコンをめぐる状況が、古川亨という日本のパソコン時代を作り上げてきた、まさに第一人者の手で鮮やかに描かれております。
(写真は、1978年頃のビジネスショーかなにかに出展したときのアスキーのブースの写真です。サングラスの間抜け面の男がわたくしです。)
『僕が伝えたかったこと、古川亨のパソコン秘史』(インプレス刊)
2015年12月の出版だからもう8年も前の本だが、なぜ気がつかなかったのだろう。早速、電子書籍版をkindleで読み始めた。
アスキーの初期メンバーの一人で、アスキー退社後、日本マイクロソフト社長や米マイクロソフト副社長にまでなった古川亨(すすむ)氏が、アスキー誕生からマイクロソフトに行くまでの、まさに日本のパソコン黎明期の「青春」を描いた本だ。
ぼくがアスキーに在籍していたのは、もういつだか覚えていないが1978年くらいから1・2年程度だったように思う。月刊アスキー編集部に所属していた。あの当時はようやくパソコン(当時はマイコンと呼んでいた)が登場し始めた頃で、ほんと刺激に満ちた面白い時代だった。
タンディーラジオシャック、コモドールペットがいち早く編集部に届いていた、日本ではNECのTK-80というマイコンキットが発売されたり、アメリカではアップルIIが登場していた。
南青山の古びた雑居ビルの中の事務所や表参道のマンションの1室で仕事をしていた。
西さんも、古川さんも、塚本さん(インプレス創業者)もみんなぼくと同世代の普通の若者だったけど、みんななんか夢に燃えていた。
ぼくもいい時代をアスキーで過ごさせてもらったと思うが、いかんせん、ほとんど発達障害気味の不良社員だったので、編集長の吉崎氏から「おまえなんか辞めてしまえ!」と言われたので素直に辞めました(笑)。
本書には、つきあいがあった人達の懐かしい名前がたくさん出てくる。50年ほど前の記憶だ。小島くん(ぼくと同期入社)、宮崎さん、松田くん、真理ちゃん。
過去を懐かしむことはしない主義のぼくではありますが、なかなかに歴史的価値のある本だと思いますので紹介してみました。
あの当時のパソコンをめぐる状況が、古川亨という日本のパソコン時代を作り上げてきた、まさに第一人者の手で鮮やかに描かれております。
(写真は、1978年頃のビジネスショーかなにかに出展したときのアスキーのブースの写真です。サングラスの間抜け面の男がわたくしです。)
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