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ファクトが客観的事実だとすれば、イベントは虚構である2013年03月12日 21時32分06秒

『日本文化の論点』(宇野常寛、ちくま新書)

を読んだ。
著者は、1978年生まれの若手評論家である。

彼は、1992年には、14歳だった。インターネット・サービス・プロバイダーが登場して、インターネットが普及し始めたのが、日本では1992年だから、いちおうネットネイティブ世代と言えるだろう。
もっとも、1992年当時、インターネットをやってる人はまだ極めて少数派だった。ぼくは、1992年末、IIJと契約してインターネットを使い始めた。基本料金が、毎月2万円くらいかかって、接続時間に合わせた従量制の課金だったから、使いたいときだけ、短時間だけ接続するという状態で、とても快適に使えるというわけではなかった。しかも、モデム(アナログモデムである)は2400bpsのを使っていたと思う。もしかしたら、1200だったかもしれない。(笑

 そんな貧弱な環境でも、モザイクというウェブブラウザーを使って、サイトを覗き、FTPでファイル転送をし、ニューズグループで、バイナリーファイルを漁って遊んでいたものだ。

インターネットに常時接続ができるようになったのは、1990年代の終わり頃で、ADSLが登場してなんとか広帯域で接続できるようになったのが、2000年代始め頃だったと思う。(調べずに書いてます)

インターネットが、急速に普及し始めたのは、この頃からだ。そう考えると、国民の大半がインターネットを使うようになってからまだ、12、3年しかたっていないのだ。

ま、昔話しは、もういいだろう。

本書を読みながら、「なにか、おかしいな」という印象を持った。ネット社会に対する、彼(宇野さん)の意見は、かなり偏っているような気がしたのだ。ものの見方は、ことわざにもあるとおり、「十人十色」であることは、ぼくもよくわかっているが、なぜか、彼の見方は、標準からかなりズレているところにあるような気がした。

そうだ。途中で思い出した。彼は、評論家とは言っても社会学者でも情報技術の専門家でもなく、サブカル系のオタクだったのだ。彼は、自ら、自分の立ち位置をそのように定義しているから、そうなのだろう。

ぼくは、はっきりいって、オタクという人種は嫌いである。(宇野さん個人のことが嫌いというわけではないですよ)
なぜなら、自分の中にも、オタク的要素があり、それをなんとか排除しようと日々努力しているからだ。

オタク、その定義もひとさまざまだろうが、ぼくは、オタクとは、自己及び自己と同じ趣味・嗜好を持つ人と、閉じた人間関係を維持しがちな人たちのことではないかと思う。

ぼくの学生時代には、まだオタクという言葉はなかったが、いわゆる(今もあるが)サブカル系の文化が、盛んな時代であった。それまでの格式張った四角四面の大人の文化に対して、サブカルはなにか小気味のいい、皮肉の刃(弱者の武器)のように感じられたものだ。
彼がいうオタクもサブカルの流れなのだ。本書には、「夜の世界」「昼の世界」という対立項が登場するが、前者は、ツールとしてのインターネット、中味は、サブカル系のウラ(というほどでもないが)文化をさしている。

発想としてはそう新しいものではない。
新しいところがあるとすれば、それは、答えは一つではないという超多様性。そして、モノではなくコトによる結びつきが強くなっていることだろう。ファクトではなくイベントと言ってもよい。

ファクトが客観的事実だとすれば、イベントは虚構である。
つまり、彼ら、ネットネイティブ世代は、ファクトよりも、虚構にリアリティーを感じているということだ。

しかし、彼がこの本で何をいいたいのか、それが最初は、判然としなかった。
しかし、読み進んで「論点6 日本文化最大の論点」にさしかかったとき、もやもや感は消えた。

ようするに、AKB48のことを言いたかったようだ。
彼は、AKB48の作られ方にネット特有の意味を見出している。
そして、そんなAKB48に入れ込んでいる。

彼は、ネットを、夜の世界と定義し、ここから社会を変えていけると考えているようだ。それは確かにそうだろう。
しかし、ネットの力を過信してはいけないと思う。
それは、常に架空のものだからだ。ファクトではなくイベントなのだ。
この位置に彼が立つ限り、彼も、なにかあるものを動かされているだけだな、と感じる。
テレビも新聞もあまり見ない・読まない。それは、ぼくも同じだ。じゃ、ネットは正しいか、信じられるか、といえば、テレビ・新聞以上に怪しい。

そういう意味で、宇野さんは新しい世代(ネットネイティブ世代)の代表のように、思われているのかもしれないが、時代の繰り返しの一つにすぎないような気もする。
そもそも、新しい世代の代表みたいに取り上げるのが、NHKなどの旧来の大メディアというところに、矛盾がある。

論点6については、異論がある。AKB48のルーツは、夕やけニャンニャンとそこから出てきたおニャン子クラブと書いているが、それは違うと思う。

秋元が最初に仕掛けたのは、「オールナイトフジ」であり、そこに登場した現役素人女子大生のオールナイターズであった。オールナイターズからは「おかわりシスターズ」とか「おあずけシスターズ」などの女子大生ユニットが生まれた。たぶん、CDはぜんぜん売れなかったと思うが。

ちなみに、ぼくは、オールナイターズの中では、武蔵大学の佐藤さんが好きであった。(今はたぶん一般人なので、フルネームでは書かない)

しかし、オールナイターズに比べると、AKBのメンバーは全員そろってブスなことったら(篠田麻里子さまは除く)。こんなタレント集団はこれまで存在しなかったのではないだろうか。

と、まぁ、脱線してしまったが、やはり、オタクとか、アイドルとか言っていては世の中を変えていけないんじゃないかと思う。じゃ、デモ? とんでもない。趣味ではありませんよ。
政治家? ま、それが普通の手段かもしれないけど、ぼくは興味がないですね。

それでは、どうしろと? それがわからない。少なくとも、オタクやアイドルではない、と思う。