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付加価値が製品をダメにした2009年01月31日 23時05分21秒

新聞報道(「シャープが赤字転落へ 液晶の採算悪化が追い打ち」共同通信2009/01/31 10:58 )によると、電機メーカー各社の2009年3月期の連結決算が、大幅な赤字となる見通しである。
シャープだけではない。日立、東芝、ソニー、パナソニック、富士通、NECなど、日本を代表する電機メーカーが軒並み赤字決算であるという。日立などは、-7000億円という。
原因は、株価の下落と円高による為替差損というが、実際は、製品が売れていない、ということがいちばん大きな原因ではないだろうか。製品が売れないのでは、これはどうしようもない。

日本のメーカーの電気製品は確かに高品質である。また、多機能でもある。高品質であることは決して悪いことではないのだが、いつのまにか消費者の多くは、高品質にはそれほどはこだわらなくなってきている。それは、高品質が当たり前になってきたからだ。戦後の貧しかった時代には誰もが高品質にあこがれた。しかし、高品質が当たり前になれば、だれもそのありがたみに気づかなくなる。
もう一つの多機能という特徴であるが、多機能とは無駄な機能が多いということである。たとえば、携帯電話は非常に多機能であるが、持っている機能の全部を活用している人は極めて少ないはずだ。使用者が必要な機能だけを選択して使えばよい、という意味では、多機能であれば、選択肢が増えるという考え方もあるが、大半の人は、自分の携帯電話の持っている機能についてほとんど無頓着である。
電気製品が多機能になったのは、ある時期(1980年代前半あたり)からコンピュータチップを内蔵して機能をソフトウェアで制御できるようになったからだ。ソフトウェアで多機能を実現できるようになると、アイデア次第で多種多様な機能を持たせることができる。これは一見非常にいいことのように見えるが、実際は、アイデア次第ということは誰もが思いつくものばかりということになる場合が多い。畢竟、各メーカーの多機能競争が引き起こされてしまった。
カタログスペック上、他社の製品にない機能を持っていると、なにかいい製品みたいに感じる消費者が多くなるし、営業サイドも、他社に負けない多機能を搭載しろと言ってくる。
かくして、日本の電気製品は、無意味な多機能を搭載した化け物のような製品になってしまった。
CD、DVD、デジカメなど、それまでなかったような電機製品も登場してきたが、多くの電気製品は、すでに成熟した製品であり、さらに売り続けるには、なんらかの付加価値をつけるしかない。その付加価値の代表としての多機能化と高品質化であった。

しかし、付加価値をつけないと売れない、と言い始めた時点で、その製品は終わりだったのだ。終わっているから付加価値というある意味どうでもいい要素をつけないと売れなくなった。
そういう意味で、付加価値云々以降の製品は、バブリーな製品であり。そう長くは持たない売り方であったわけだ。
電機メーカー各社は、1990年代初めのバブル崩壊以降、ますます、多機能・高品質という付加価値を追い求めた。それが、今度の世界同時不況で馬脚を現したという格好であろう。

電機メーカー各社はもう一度原点に戻り、消費者は何を求めているのかをよく考え、付加価値を追い求めるのではなく、独創的な製品で勝負すべきである。最近は、市場が飽和してしまい売れなくなってきたデジタルカメラだって、爆発的に売れたのは、これまでなかったまったく新しい製品だったからだ。シリコンプレーヤーもそうである。

今度の不況がいい機会だから、もう一度原点に戻って、独創的な製品をつくることに努めるべきだろう。

デジタルテレビだって、B-CASで囲い込みを行うような閉鎖的な商売をやっていてるから、売り上げが予想通りには伸びないのである。消費者はバカではない。
物が売れないことを不況にせいにしてはだめだ。
物が売れなきゃ企業は成り立たないのだ。

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