Copyright© Kei Shiratori 2008-2023

日航123便事故から33年目の夏2018年08月11日 17時53分40秒

2018夏の朝顔
『日航機123便墜落 最後の証言』(堀越豊裕、平凡社新書)を読んだ。

よく知られている事故に関する説明の部分は飛ばして、技術的な部分を中心に読んだ。

事故原因は、事故調の調査で後部圧力隔壁の修理ミスが原因の破壊とされているが、ほぼそれで間違いないと思う。

この修理ミスの事実を事故の翌月にニューヨークタイムズが報じたが、リークしたのは米運輸安全委員会(NTSB)の幹部だった。本書の著者は、本人やその周辺、さらには日本の事故調の関係者など、広く取材して記事をまとめている。これまでの「123便本」に比べると、はるかに客観性があり信頼できる。
それほど、123便本には、荒唐無稽なものが多い。いわゆる撃墜説というもので、ミサイルが当たった、無人標的機とぶつかった、さらには自衛隊の戦闘機が撃墜したという、とうてい考えられないような妄想に近いものまである。

本書の4章ではトンデモ説のソース・人物にまで当たって検証している。結論としては言うまでもなく、トンデモであるということ。とくに、このコラムでも1年前に書いたが、青山透子氏の『日航123便 墜落の新事実』(河出書房新社)に書かれた撃墜説・陰謀説は、ちょっと読むに堪えない内容であった。

大勢の人が亡くなるような大事故があると、多くの人は興奮状態になり、陰謀説が飛び交うものだ。人間の根源的な恐怖心がかきたてられるのでしょうがない面もあるだろう。しかし、そういうときこそ冷静になることが必要だ。
出来事には必ず原因がある。その原因が見えにくいと妄想論や陰謀論が跋扈するようになる。

123便事故当時は、SAR(捜索救難)の体制・システムが現在のようにきちんと整備されていなかった。その反省から、事故後急速にSARの体制が整備されていった。
当時、米軍、アメリカ当局、ボーイング社とのコミュニケーションが十分にとれていたら、あのような混乱は怒らなかっただろう。

アメリカ当局がいち早く、圧力隔壁の修理ミスが原因だと、メディアにリークしたのは、ボーイングの航空機の運航と販売に影響が出ることを恐れたからだ。時間がたてばたつほど、あらぬ噂を広がっていくものだ。
アメリカがいち早く、原因を発表したのは当然のことで、陰謀でもなんでもない。

事故を防ぐためには、政治・経済・外交、さらにはメンツ・忖度・我欲で論じるのではなく、事実のみを見なくてはならない。

この事故の反省点を言えば、墜落事故の7年前(1978年6月2日)に同機が大阪伊丹空港で尾部を滑走路面に接触させて、圧力隔壁を損傷したとき、下半分だけではなく、コストがかかっても全体を交換すべきだった。
とはいっても、当時、下半分だけを修理することを決めたJALの担当者には何の罪もない。当時としては最善の判断をしたのだろう。

もう一つの反省点は、事故発生の後、高濱機長が、「I have.」と機長昇格訓練中の副操縦士から操縦を代わらなかったことだ。ボイスレコーダーの記録を聞いていると、墜落の瞬間まで、”教官として”、「頭上げろ」「バンクそんなにとるな」といった指示(興奮状態で)を与えている。このような緊急時には、機長が操縦桿をとるべきだ。

事故後のコックピットでは、垂直尾翼の後部と方向舵が吹き飛んでいることはわからなかったと思うが、油圧系統がアウトで操縦桿が利かない状態では、いくら口で指示を出しても無駄であったろう。
しかも酸素マスクもつけていない。
二人のパイロットと機関士には、酸素をたっぷり吸って、頭をクリアにして、状況を確実に把握してほしかったと思う。
もちろん、それで助かるというわけではないが、何かわずかでもプラスになっただろう。