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万年筆と身体性2009年04月03日 21時25分05秒

久しぶりに万年筆を買ってみた。
久しぶりもなにも、たぶん20年ぶりくらいである。
以前は、ペリカン、モンブラン、ウォーターマン、パーカー、シェーファーなど、いろんな万年筆を持っていたが、PCで原稿を書くようになってから、まったく使わなくなってしまった。

最近はできるだけ機械に頼らない部分を残しておこうと考えているので、手書きをできるだけ行うようにしている。といっても、もちろん、さすがに原稿はPCでないと具合が悪い。手書きでは長いものは書きがたいし、手書きのものをテキストファイル化しなければ編集者に渡しようがないという問題がある。

だから、PCを使うべきところは、もちろん使う。しかし、手書きで済むものは手で書こうというわけだ。と、考えてみると、手書きですむものはいくらでもある。メモがその代表的なものだ。打ち合わせのときのメモも手書きだ。取材のときも、ぼくはPCは使わない。手書きである。

ただ、ぼくは字がへたなので、書いた文字を後から読むと、自分でも何が書いてあるのかわからなくなることがよくある。
なぜだろうと、よく考えてみたら、ペンの選び方が悪いのではないかということに気がついた。ペンはすらすらの滑らかに書けるほうがいい。そう思いこんでいたのだ。
しかし、さらさらペンには思わぬ落とし穴があった。書きやすすぎて字体が乱れるのである。「そんなことはない」という反論はあるだろう。一般的には滑らかなほうがいい。しかし、ぼくはいい加減なやつなんで、滑らかだと滑らかなまま字体を崩してしまう。

そこで、万年筆を使えば、少しはきちんと書くことができるのではないかと考えたのだ。万年筆のペン先は、一定の方向を紙のほうに向けていないと書けない。だから、万年筆はしっかり握ることになる。これが、端正な文字を書くことにつながるのではないかと考えたのだ。

購入したのは、ペリカンのペリカーノ万年筆。ドイツ・ペリカン社の学生・生徒向けの万年筆入門用の商品だ。軸色は半透明のオレンジ。価格は2100円。この安さがなかなかよい。ペン先は金ペンではないが、なかなか書きやすい。ボールペンほどの滑らかさはないが、ほどよい摩擦感である。インクの色は、ペリカンのブルーブラックを選んだ。

続いてもう一本買った。パーカーのパーカー・フロンティアという万年筆だ。これも入門用の万年筆で、2300円くらいで買えた。インクの色は、ウオッシャブルブルー。万年筆のインクの中では、この色がいちばん好きだ。少し淡い青でやや透明感がある。

万年筆で書くならやはり原稿用紙だろうと、いうわけで、自由国民社の緑色の罫線の原稿用紙を取り出した。「現代用語の基礎知識」の原稿依頼のとき、いつも、送ってきたものだ。いつの頃からか、原稿用紙は送ってこなくなったような気がする。原稿用紙で原稿を送る人がいなくなったためだろう。

で、原稿用紙に万年筆で文字を書いてみると、なかなかきちんと書ける。文字を書きながらの思考もPCを使っているときよりも、少しは整然としているような気がした。

というわけで、原稿のプロットを考えるとき、取材や打ち合わせのメモ、電話のメモなどは、すべて万年筆を使っている。
体を使って文字を書くという身体性は、PCのキーボードをたたくよりもはるかに高い。思考は、指先ではなく、体全体で行うものではないか。

身体性、それはつまりリアリティーということでもあるが、万年筆で文字を書くということは、リアリティーが失われつつある現代において、身体性を取り戻す契機のひとつにはなるかもしれない。